study

Between seeing and believing -Jeannene M. Przyblyski

今になって、19世紀の新聞・雑誌メディア関する論文集をみつけた。多くが19世紀前半を扱うなか、おもしろいのが上の論文で、パリ・コミューンにおける戦犯としての女性像の構築を、雑誌や写真などの資料をもとに論じている。ジェンダー論に収まらず、メディ…

購読の授業。Jayの伏し目論。今日は、バルトについての後半部分。夏合宿では、興味深いと思って線を一杯引いたページだったが、復習ができておらず、線は増える一方。 内容は、『彼自身によるロラン・バルト』のJayによる分析が主であり、彼によれば、そこで…

僕の研究は、必ずやアナール学派と文化史の本に出くわす。In the Public Eye: A History of Reading in Modern France, 1800-1940作者: James Smith Allen出版社/メーカー: Princeton Univ Pr発売日: 1991/10メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (1…

待ってるあいだに読んだ論文。著者はベルエポックと呼ばれる時代のフランスをFin-de-siecleと捉えなおし、そこで生まれた「大衆のための」文化=視覚文化―パノラマ・ジオラマ・蝋人形・モルグ―を検討する。スペクタクルとして消費社会を批判する*1のではなく…

先月手に入れた雑誌を読み始める。フランス初の総合スポーツ雑誌であるLa Vie au grand airの創刊号、巻頭文。この雑誌の目的意識は、スポーツの大衆化であるという。「スポーツ」の名のもとに列挙されるのは、自転車・自動車などの乗り物から球技や陸上競技…

読書会合宿へ行く。 しあわせな青空の下で伏し目論。 初日にフーコー+ドゥボール。二日目にラカン。三日目はバルトにメッツ、とみっちり読む。 担当したフーコー・ドゥボールは勉強になった。はっきりしなくて読ませるフーコーと、分かりやすいが悲しきドゥ…

マンガ分析

マンガの作品分析ゼミ、グループ発表。僕は雑誌『ガンガン』班。 伊藤剛のいう<キャラクター>と<キャラ>の違い。登場人物であるキャラクターに対し、物語世界から微妙に乖離しつつ立ち上がるのがキャラである。 このキャラクターとキャラの定義について…

Martin Jay読書会

このスピードは練習になる。速読を目指す。 20世紀のフランス思想を振り返り、視覚中心主義批判をなぞっていく。前回の視文研の話でもでたけれど、視覚中心主義批判への返答?はあやふやなままだった。 序論は生理学や視覚中心主義へ至る理由、<自然と文化>…

「D'apres Photographie - Premiers usages de la photographique dans le journal L'illsutration(1843-1859)」 「写真によると」とでも訳せるか。著者は、1850年代に雑誌の記事上に現れだしたこのフレーズに着目し、写真から写し取った挿絵の使用法を考察…

第8回視聴覚文化研究会

西宮市民会館で盛大に行われました。 参加者12名、初めてお会いできた人やゆっくり話せた人もいてよかった。 問題の中身のほうは、『October』誌77号のアンケートとその回答のレジュメをキッカケに、議論を始めました。選出した回答者は、トム・ガニング、マ…

A・セクーラ「写真の意味の発明に関して」 写真の「中立性」「無媒介性」を批判するという点において、タッグのそれと同じであるのだが、それを暴く方法は異なる。タッグが司法写真など権力と写真の作用からそれを導出するのに対し、セクーラは、写真が意味…

発表終わり。19世紀の挿絵だけで、まずは一山作ること。 ボードレールやベンヤミンなどの言説のみならず、技法なんかも押さえていくこと。挿絵に付随するテクストも読解していく。パノラマの戦争画など。写真に関しては、フルッサーの精読、ミッチェルや引き…

現在のフランスの写真研究者 特に、雑誌写真、フォトジャーナリズム関係 このシンポジウムから →http://www.lhivic.org/info/recherches/trame シンポジウムの様子 →http://www.sfp.asso.fr/vitevu/index.php/2006/01/11/27-compte-rendu-journee-etudes-pra…

前回の続き。 前言撤回。この論文において、芸術/大衆文化という二項対立を単純に取り出すことはできない。なぜならそれは、ブクローの議論があくまでイデオロギー論争に徹しているからである。イデオロギーの厄介さを忘れてた。歴史化には、イデオロギーが…

「寓意的手段:現代アートにおけるアプロプリエーションとモンタージュ」の論文紹介。表題にあるとおり、この論文でブクローは、20世紀美術における、アプロプリエーションとモンタージュという手法を用いた作品を選び出し、それらを通史的に見直すと同時に…

前回の発表で、断片化された写真が記号化され、象徴化されるということを僕は連発したのだけれど、この「象徴」という語が強調されればされるほどに、ブクローの言う、モンタージュのアレゴリー的な作用とは相反してしまう。いかにこれらが両立するのか? ア…

20世紀初頭のメディア的文脈について、何か良い参考文献がないものか。とくにフランス。探し方に問題があるのかな…

29日から、この三日間、佐藤先生の集中。 展示・コレクションの契機から出発して、アプロプリエーションにブリコラージュ、考現学から、近代、モダニズムを判りやすく説明して頂き、その間にはジャズ史やパンクにモッズまでもが挟まっていた。 ダダに関して…

集中講義

物語絵画のナラトロジ−分析と題された今回の講義では、言葉による語りの意味、すなわち一般的に言うシニフィエが、心的イメージではない、という結論の仮定から始まった。それを考える方法として、小説や映画でも発展してきたナラトロジ−分析を、物語絵画の…

「寓意的手段:現代アートにおけるアプロプリエーションとモンタージュ」 ブックローさんを読み始める。訳語の問題や分量も息も長い文章、道は長くて険しいが、おもしろい。ベンヤミンのアレゴリーを意識しながら、現代アートにおけるアプロプリエーションや…

「ピカビアとX線とラヂオメーター」 Linda D. Henderson 19世紀のスピリチュアリスム、W・クルックス卿とクルックス管、レントゲンなどと、ピカビアの作品の因果関係を探る論文。人間の知覚の不十分さを指摘するピカビアや妻の言葉を根拠に、図像学的にそ…

梅田のホテルで読書会。一階喫茶室で二時間近く、キリストの死体についてあーだこーだと語り合う。 ユベルマンもとうとう終わりに近づく。 議論の核は、前回のフロイトの議論を用いた形象化の作業であったように思う。表面としての傷が、その傷穴から、「一…

増田先生から配布して頂いた、論文を読む。ので、前回の続き。そこでは、マス、サブ、ポピュラー・カルチャーの語義が、それに伴う批評と共に手際よくまとめられていた。曰く、マスにはアドルノを筆頭とするフランクフルト学派の批判が注がれ、それに次いで…

ポピュラー音楽学の増田先生と漫画学の瓜生先生、ウチの先生で、対談。サブカルチャー論という授業であったが、サブカルチャーとはいったい何か。以前、どこかで「サブカルチャー」は死んだという論を読んだ記憶があるが、死んだのはカウンターカルチャーと…

サルトル・メモ。彼の言う「内在性の幻想」について。 L'conscienceとL'imageとL'objet 対象を見て意識の中で作られたイメージ、つまりそれは、L'image de l'objet、対象のイメージ。他方、対象のないイメージがあり、もちろん意識のなかにあるはず。「内在…

ユベルマン・メモ 深読みと浅読みのバランスを気にしながらも、 「染みの形象性が消し去られるところで、形象性が生起する」という仮定に関して言いたかったこと。 「行為[act]」が発動して、「行動[action]」になる。この行為を起点と捉えて、そこにパース…