ポピュラー音楽学の増田先生と漫画学の瓜生先生、ウチの先生で、対談。

サブカルチャー論という授業であったが、サブカルチャーとはいったい何か。

以前、どこかで「サブカルチャー」は死んだという論を読んだ記憶があるが、死んだのはカウンターカルチャーとしての要素を含んだサブカルチャーであったのか。その後、メインとサブ、ロウとハイの境界線は溶解し、その多様化とともに、もはや区切りは消失しつつある。しかし、サブカルチャーという語が生きているのも事実。両者に共通しているのは、サブカルチャーなどと呼ばれるマイノリティが生まれてくるとき、そこに、メインに対する反抗心、それが故の結束力が働いているのではなかったか、ということ。いま、そこにその力が働いているのかどうか。サブカルチャーは分散して、そのひとつが「オタク」に、「ヤンキー」はもはや失われた、とも言えないか。
これらの変容がクサい。


参照点が失われていくのは、学問の問題をはじめ、あらゆるところに見られるように思う。締めの言葉は、大学ももはやサブカルチャーである、そうだ。そうだった。