アルベルト・ジャコメッティ展 兵庫県立美術館

夜にジャコメッティ展へ。閉館近くてもそこそこの人が来てた。
絵画が割りと多く、コンパクトに収まっていて非常に見やすかったが、初期の作品が少なかったのが残念。


実存主義、矢内原との関係、そして「見えるがままに表す」、「見ること」が執拗に強調されていた作者であったが、それでは、彼にとって「見える/見えない」の境界はどこにあったのだろう。何が「見えて」、何が「見えない」のか。

以前から彼の作品は、その彫刻像を中心に何かポップに感じられた。彼の作る彫刻像だが、そのほとんどにおいて、人間の顔は鼻を頂点に奥へ伸び、対して、その体の部分は平面的に横に拡がり、その頭と体が綺麗に垂直に交わる。顔などの細部を忠実に再現することなく一定の形をとった人体像、それは決して対象に忠実であるわけでなく、作者の頭の中で一旦咀嚼されて作り出されたイメージ像である気がしてならない。鋭く角ばることもなく、丸みを帯びながらもはっきりとした線をもつ、像の縁。できる限り顔を近づけて、その彫刻像の細部、表面上をなぞって見れば、そこには不規則な起伏が複雑に見受けられ、その向きや形状が分からなくなるほどである。例えば女性の胸は、全体像を無視した方向に向いているし、それを作り出しているのも不揃いな凹凸である。ところが、遠くから離れて見てみれば、近くで見るより像の縁のラインが明確に現れ、そして綺麗に垂直に交わる頭部と胴体のバランスも相成って、存在感を持った像が視界に現れるのである。彫刻において、何かこうした要素に、見える/見えないの境界を見出せるように思った。檻の内と外、これもまた視界の内と外の境界を示しているように感じる。

絵画にしても、