その足で、国立国際の「エッセンシャル・ペインティング」、「小川信治」、「日本近代写真」展へ。

「エッセンシャルペインティング」

1990年代の欧米絵画をまとめた、というぐらいに広範な展覧会。少々多すぎる出展作家の数に、どうも散漫な感じになってしまう。
諸々の絵画も、括れるようでバラバラなのだが、表面の肌理が印象に残る。写真を見て描きながらも非常に淡白な色彩の絵画や、対照的にビビッドな色彩でどこかしらデジタル写真の自然すぎて不自然な色を想起させる絵画、劣化したフィルムのように絵の具がザラザラとしておりそこに人が何人も居たり誰も居なかったりと時間的要素が入った(映画的?)絵画など。そうして考えると、セーラームーンを出すまでもなく、<絵画>、四角い<キャンバス>という自立した空間に、他のメディアの様々な要素が入っている。何も彼らが最初ではないが、共通点として。最後の部屋は、ほとんどが具象のなかで唯一、抽象だったのもあって、印象的。ここでも奇妙な色と肌理が伺えた。以上、本質的な絵画。しかし、1990年代って?

「小川信治」

久しぶりに長居したのに疲れたり飽きのこない展覧会だった。
最後まで作家の(超絶?)画法を暴こうと凝視していた。が、何が鉛筆で何が写真かも判らず。
結局、彼の技術は人力複製技術だと思う。人力複製ができれば、映像作品にあったように、そこから何枚も違うパターンの絵画を描いてつなぎ合わせたり、セル画をスライドさせるように、爺さん婆さんを真っ二つにすることももできるのだ。
だが、その細密な図に見る者は対応できず、もはや何も同定できないままに対象を見させられていく。最後に立ち読みした解説文には、「現実と表象」という見出しが付いていた。
そんな訳で、美術館の外に出た僕は、近景の高層ビルの群れが少しずつ動いていくような気がしたのです。パノラマチック。