前回の続き。
前言撤回。この論文において、芸術/大衆文化という二項対立を単純に取り出すことはできない。なぜならそれは、ブクローの議論があくまでイデオロギー論争に徹しているからである。イデオロギーの厄介さを忘れてた。歴史化には、イデオロギーが付き物だろう。

しかし、ここには疑問も残る。根源へと向かうアレゴリーの時間性がどこに解消されているか。ベンヤミンアレゴリー論を「知覚的諸条件の分析」と称しながら、ブクロー自身は、実際にその知覚的な側面へと、あまり踏み込んでいない点。そして、−先輩に言われた通り−そのアレゴリー的な諸実践を、総じてイデオロギー論へと結び付けている点である。換言するなら、その実践には、イデオロギーへの回収を突き抜けるような要素が見当たらないのだろうか。これが問題提起となる?