ベンヤミン「ドイツ悲劇の根源」

芸術作品

その批評は、ジャンルや形式などの外的な尺度による比較において形成されるべきでなく、内在的に、つまり、効果を犠牲にして内容を外に駆り出す、作品の形式の表現力の発展のうちに形作られる。

根源

こうした規則類の無力化=生産的な懐疑の基盤
観想のためには、演繹的方法に背を向け、現象へと立ち返る。
クローチェ「抽象的な分類(歴史)の理論的価値を否定すること=発生的、具体的な分類の理論的価値を否定すること」
発生的分類=根源の問題
≪根源においては、発生したものの生成ではなくて、むしろ、生成と消失のなかから発生していくものが問題になる≫

根源は生成の流れにおける渦、発生の素材を自己のリズム体系に巻き込む
そのリズム体系とは、復古・復元、または復古・復元における未完成・未完結から伺い知ることができる。

ただし、古い事実すべてに本質を形作る契機があると考えてはならない。そうした事実のもっとも内奥にひぞむこう像が非常に本質的な様相を呈して、そのためにその事実がひとつの根源であることが暴露される。

アレゴリー

18世紀以降、象徴との対比から卑下されていたアレゴリーを救い出す試み。象徴を重要視する論評のなかに、間接的にアレゴリーの性質をみる。
時間的相違
象徴=瞬間的、神秘的刹那のうちに理念を具現化、自己完結し、圧縮され、自己のうちに留まり続ける記号
アレゴリー=時間的進行をもち、弁証法的過程を内在させる、比喩的存在と意味作用の深淵に沈静する冥想的平静のうちに、激しく渦巻く弁証法的過程、継起的に進行する時間そのものとともに動き始めた流動的な写像
      
歴史的に様々な宗教的解釈が組み込まれたアレゴリー画(=エンブレム)を見るに、そこには意味と記号との連関の不可解さが残る。しかしそれに刺激された人々は、意味表示の役割を負った物象のますますかけ離れた諸特性を比喩像として用いるようになる。→同じひとつの物が、ありとあらゆるものの比喩でありうる状況。

アレゴリー的なものの二律背反
意味作用を担う事物が自分とはなにか別のなにかを指し示す状況。格上げされ、それと同時に、価値を失う。慣習であると同時に表現であるアレゴリー

これが有機的な相対性をもった像である象徴に対立する。
アレゴリーは、無定形な断片として事物や作品を、刺激作用をもつ文字に変える。そこでは、形相や似姿は滅び、総体性が消え去り、そうして枯渇した判じ絵のうちに、混乱した沈思黙考者がそれでも捉えることのできる認識が潜んでいる状況。意味の豊富さ。


思考におけるアレゴリー=事物における廃墟 ←意味のある破片、断片が積み上げられる
廃墟へのシュウ落によってのみ、歴史上の出来事が舞台に入り込む。


進展してゆく運動ではなく、内側から膨張するアレゴリー、たえず新たに人を驚かすように展開してゆく
⇔象徴は、頑として同じ物でありつづける

文字と音声が、極度に緊張した対立関係のうちに対峙しあっている。この関係を基に、ひとつの弁証法が生み出される。