フォスター

多元主義というひとつのイデオロギー
この多元主義自体が、ひとつの立場であり、問題含みであること、
つまり、それが変化させられるよう条件付けられたものであることを明確にしたい。


元来、多元主義とは50、60年代から批判されていたものであもあったが、視覚芸術においては状況は異なる。50年代の一枚岩的な抽象表現主義に対して、60年代の自己批判主義は、アメリカ文化に欠けていた使命を担った芸術を中心化した。それらは、不純物や矛盾を絶滅させるため、極めて美的で、厳格に論理的な企図を打ち立てる。なぜなら、ミニマリズムは、モダニズムの極地であると同時に、その否定でもあったからだ。


後期モダニズムは崩れさり、その美的色合いは拒絶されたが、自己批判的衝動は続いた。その拒絶は、芸術の「制度的理論」へと結び付いた(コンセプチュアル・アート)。芸術を定義付ける美術館を芸術が批判するという矛盾した関係が見られたが、芸術は、制度的理論とその名前に対して作られ続けた。


より大きな問題といて、コンテクストのそれがある。後期モダニスト(グリーバーグ)以降の理論といった基準に対して、新たな要請がすぐに生起した。屈折したもの。周縁的なものが、特別扱いされたのである。だが、それも慣習的になると、特別な芸術形態の位置ずらしとして先行的であったものは、一般的な芸術の分散へとつながった。つまり、その分散が、多元主義の最初の条件だったのである。


実践的な観点から、多元主義の原因を突き止めることは難しい。しかし、ふたつの要因がある。1)現代アートにおける、投資としての美術市場の信用性。2)新たなアカデミーを形成していると気づかれていない、アートスクールの乱立。多くのスタイルに開かれた市場やアートスクールによって、後期モダニズムの厳密な基準は失われた。こうした諸条件が広まった70年代に、批評の危機、アメリカ・フォーマリズムの断絶が続いたことは偶然ではない。説得力ある言説に欠けていると感じられた、それはおそらく多元主義への兆候なのである。


美術と批評の無秩序状態が生まれるなかでの、ひとつの指標を打ちたてようとする態度?そこで、批判的意図をもったモンタージュ/アプロプリエーションが重宝されるのか?