フォスターによれば、芸術における多元主義は、現状維持を脅かすことのない、寛容性を示している。多元主義にはそれ自体の原理がなく、そこでは、古い価値が蘇る。独自性や先見性、天才、傑作といったものを、写真を用いた手法やコラージュ、レディメイドなどが、概して、異なる価値で試してきた。(写真が時代を通してアウラを獲得する、もしくは、デュシャンの便器が天才の振る舞いとして取り扱われるようになるように)。これらすべての価値は、復讐とともに蘇るひとつの究極の価値に拠っている。それがスタイルである。


フォスターによる、歴史化→
初期のモダニストは、伝統的な慣習から自由なスタイルを探求した。例えば、芸術を純粋化しようとしたマレーヴィチ。しかし逆説的に、スタイルは膨張し、抽象表現主義の頃までには、それは芸術の他の主題をも包含するほどであった。そうして、ラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズのような芸術家は、再びそれらを消去するように押し進められた。60年代には、「個性」に欠けた芸術が多く見られた。多くの芸術が(存在)意義としてのスタイルや歴史を破壊したのである。(ミニマリズム)。皮肉にも、50年代に批評によって促された形式的な純粋性が70年代の「混ざり合った」芸術において問題となったように、60年代のスタイル的かつ歴史的な参照性は、多くの80年代アートのそれらの(活発な)回帰によって埋め合わされたのである。


また70年代アートにおいては、意義が芸術家の人格や作品の物質性へと回帰しがちであった。その結果、自己(自体self)が、再び芸術の主だった根拠になったのである。順応性を乱し、侵犯しようとする近代の反省的側面が維持されたように、スタイルとして認識される自己は、それが容認されていても攻撃される。それゆえ、各々の新たなスタイルから孤立した自己は、さらにスタイルを作り出すだけである。そうした(非)順応性から逸脱する方法はないように思われる。それもまた制度的になるのだ。言わば、芸術は活発すぎるほどにスタイリッシュになった―皆が異なっていなければならない…同じ方法で。


「個性」を消した60年代のミニマリズムにしても、個人が言語において構築されるとみなされる現代アートにしても、慣習に抗うものは慣習を蘇らせる。多くの芸術家たちは今日、そうした慣習性を明らかにするため、おそらくはそれを改良するために、メディアの役割を呈している。
芸術の慣習は、それが拒絶されるところにおいて打ち立てられる。そうした芸術的なものの拒絶は、レトリカルである、例えば拒絶として理解されるものが、時期的、戦略的なものである、つまり、その制度的な敵対者とそれ自身のアンチ美的な伝統との両方の現在の状況に気付いている。こうしたデュシャン的戦略が、慣習的になり得るのである。今日、アヴァンギャルド主義者を制度へと変えるほどに制度と競う傾向はない(ウォーホル)。さらに、単に慣習的なものを否定する芸術も、慣習性を被るのである。そうした芸術は(特徴として、表現主義的である)「効果effect」の芸術であり、即時的であることを望まない。だが、どのような効果が無垢のままであるのか?そうした作品は、ヒステリックな無益さの条件から逃れることができない。そうした身振りは、救済されない。それらは、均一ではかないものである。


あまりにもデュシャンの拒絶を拒絶する芸術が多く、所与の慣習性に打ち負ける芸術が多い。これらの芸術家は、古き形態へと回帰する。とりわけ絵画は、面白くもない復興機運を見せている。これは適切でないし、問題含みである。なぜなら、歴史主義的な振る舞い(新しきに古きをみる)がそうした芸術と留まるにもかかわらず、急進的なものの要請(古きに新しきを見る)が失われるからである。換言するならば、芸術が歴史的な(回復的)側面を保ちながら、革命的な(償却的)側面を失っている。ここで犠牲となるのは、急進的、物質的な刷新を要請する弁証法的なモデルである。


こうした歴史の観点は、多くのポストモダン・アート、建築の基本である。そうした作品の計画は、断片化されて党派的という意味で部分的なものであるパスティシュである。美術史のような無垢さも、慣習的でしかない。しかしながら、スタイルへのそうした態度は、批判的芸術にとって十分なものではないのである。
使い古された(cliched)スタイルや規範的なコードのこうした状況を探求するよりもむしろ(ロラン・バルトジャック・デリダが為したように)、多くの芸術家たちは今日、単にそれを搾取したり、スタイル的な参照で消費され易いようなイメージを生産している。今日の無垢な芸術家は、モダニズムの皮肉へと向かい、それが自由であるかのように誇示している芸術愛好家なのである。