昨日の論文の続き。
19世紀中頃、断片的に存在した自然・社会科学の正当化と広範な知識の伝達がおこなわれるようになった。制度的・言説的実践の地平において科学的手法が推進され、新たな知の領野の形成が、それが生み出した権力と支配の諸効果と不可分のものになるとき、そこに現れたのが写真であった。写真は、経験主義的な観察と記録、数量的な計測と分析というモードが要求されたときに、社会科学の領野に入り込んだのである。また写真は、自然科学と社会科学の独特な二分法―具体的には、生物学内に現れた進化論と、社会文化的・歴史的発展という進化メカニズム―を結びつける役割をも担った。
こうした写真では、紋切り型の手法が繰り返される。時に裸体の登場人物は、カメラに対して正面か横顔で、身体は狭い空間のなかに孤立させられ、黒い平面を背景にその形状が規定され、照明は明るく、一定である・・・
しかし、こうした比較形態学のあからさまな演出は、「純粋で混ざり気のない事実」という所与の真実ではなく、多様な他の言説、表象、意味作用と関連したものである。そして、それらの諸側面は、身体を科学的諸実践と監視や記録といった新たな様態との網の目の結節点として「身体」を特定したのである。

とりわけゴルトンの提唱した優生学は、「身体の発展に関する科学的知識」と「社会的政治的目的の推進(人種の改善)」を取り結ぶ線上に現れた。「人間の進化の自然で不可避の過程として見られたものを可能にする科学の恵み深い役割」を表明するゴルトン。優生学については教科書的な説明だが、著者は最後にそれを、人種や階級の分節化としての機能だけでなく、優生学に平行した自由主義経済における変動しやすい経済的・政治的条件と結び付けている。つまり、優生学と、それに利用された写真の意味作用は、当時の労働力を最適化しようとする試みのなかに組み込まれている。いわく、このように「写真に埋め込まれた意味作用の理解は、いかに写真的実践が社会的組織内での文化・経済・政治的諸直の結合点に構成されるかを理解することである」。まぁ確かにそうだが、結局、写真やなくてもええやん、と思ってしまう。