ディディ=ユベルマンの授業へ行く。
ヴァールヴルクのムネモシュネについて、と聞いていたが、ギデオン、ベンヤミンヴィリリオなどを参照しつつ、ファロッキの作品分析が主な内容であった。おもにヴィリリオフルッサー、またドゥルーズなどを参照しつつ戦争とイメージの話をしたのちに、ファロッキの≪Respite≫(『一時中断』、2007)という映像作品へ。アウシュヴィッツへ向かう鉄道が発着する世界大戦下のキャンプ地で、その責任者である将軍が残した写真と映画を無声映画としてモンタージュした作品。
アウシュヴィッツへと向かうことも知らずに列車に乗せられるここととなるユダヤ人労働者たちの作業と、そこに「カメラを向けた」将軍の行為を再構成しては丁寧に読み込んでいくファロッキは、映像の細部を読みとっては、イメージ読解の可能性を提示していく。そこからユベルマンは、それらが、単なるモンタージュではなく「ルモンタージュ?」として、イメージの各要素を反響させあいながら、歴史的イメージの布置を形成し、弁証法的な読解可能性を開示しいている、という指摘をしていたと思う。その方法論がヴァールヴルグのムネモシュネを思わせる、ということか。いずれにせよ、ファロッキの作品を非常に興味深く、講義室のスクリーンで40分間見ごたえがあった。白黒の写真や動画イメージとその合間に入る黒地の白い文字が淡々と接続されるが、それらがとりわけ明滅する印象を与えつつ、アウシュヴィッツへと向かう悲劇を再構成する。「再構成」という言葉が適切かどうか分からないが、おそらくそこが掛け金になっており、歴史的事実を描き出すドキュメンタリー的であると同時に、単なる再現というよりもイメージの構築作業であり、その読解の提示というよりもその読解の可能性の提示という点において、再現と表象とのあいだを縫うような映像であった。おそらくそこにイメージの「操作性 operatoire」があり、弁証法的構成へと立ち向かっているのだろう。