ディディ=ユベルマンの授業、引き続きファロッキの作品について。前回がイメージ受容の話だとすれば、今回はイメージ制作の話であった。端的に言えば、ベンヤミンの「生産者としての作家」を通じて、ファロッキの実践を読み解くというもの。ここでも、イメージの読解可能性、モンタージュ、系統学的実践としてのローマ時代のimago(『接触による類似』でも言及)が問題となり、ベンヤミンブレヒト論とファロッキの実践との並行性が指摘される。最後には、観者の位置の問題として、マリ=ジョゼ・モンザンとランシエールの議論、カッセルのドクメンタにおけるアルフレッド・ジャーの作品が紹介された。
とりわけ、ランシーエルのémancipéという語彙が強調される。「解放された」とも訳せるこの言葉は、(e-)manciperの部分が、人類学の算定不可能なほど膨大な時間のなかで、「所有物として手にとること」を意味し、そしてそこから、経済的・政治的に自由になることとして解釈される。このあたりのキーワードが、ファロッキが用いるモンタージュ技術と結びつくようだが、少し聞き取れなかった。ジャーの作品も興味深い。
http://www.alfredojaar.net/

The Emancipated Spectator

The Emancipated Spectator

http://www.amazon.fr/spectateur-%C3%A9mancip%C3%A9-Jacques-Ranci%C3%A8re/dp/2913372805/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1260833218&sr=1-2