前期の授業「映画と絵画」の課題提出のため、Philippe Duboisの論文を読んでいる。
《La question du figural》, Phillipe Dubois
収録は、Cinéma Art(s) plastique(s), sous la direction de Pierre TAMINIAUX et Claude MURICIA, 2004, L'Harmattan
http://www.amazon.fr/Cin%C3%A9ma-plastique-colloque-Cerisy-juin/dp/2747559882/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1261682127&sr=8-1
ちなみに編者は、こんな本も出していた。

The Paradox of Photography (Faux Titre)

The Paradox of Photography (Faux Titre)

以下、デュボワ論文をまとめると、
本論は、映画分析の方法論的刷新を試みるため、Figural形象という観点に注目して展開される映画イメージの理論的・方法論的考察である。具体的には、ゴダールの『映画史』と美術史家エリー・フォールの映画への言及の引用を足がかりに、70年代以降の映画論におけるテクスト=記号論的分析、構造=言説的分析を乗り越えるため、再現=表象に対して現象、権力pouvoirに対して力puissanceを措定して映画イメージの造形性を問い直す試みといえる。そこでは、おもにディディ=ユベルマンの方法論が参照され、映画イメージがどのようなプロセスを経て現象かつ構造として形象化するか、という点が問題となる。ただし筆者は、本論文があまりにも図式的かつ包括的で、いまだ方法論としての敷居に到達しただけであること、また、plasticité―figuralの差異化をしていないことについて本文中で断りを入れている。やや留保も多く、かなりディディ=ユベルマンの議論に依拠した論文ではあるものの、その注釈としてのみならず、映画論的応用、実験映画論、美術史・イメージ論としても読める論文。

イメージの形象化のプロセスを以下、箇条書きにする。
<形象化についての図式的要約>

  1. 具象的Figuratif・・・図像学的段階
  2. 形象的Figure・・・イコノロジー的段階
  3. 形象可能Figurable・・・中世のイメージ論争、フロイトの形象可能性(視覚的なものから可視的なものへの移行の可能性の条件)
  4. 形象的なものFigural
  • 出来事…イメージ内部から表面に立ち現れる視線の啓示という実践

    ・閃光 …瞬間的な動揺・驚嘆における形象的なものの発見
    ・裂け目…可視性から読解可能性を、形象性から具象性を分離させることによる形象的出来事の具体化。
        ・変質alteration…脱形象化によって形式や具象性を排する(幻想的映画、ヒッチコックなどの映画)
        ・他性alterite …非類似によって非具象性から読解可能性を創りだす(実験映画、フィルムへの介入)

  • 現前 …物語化=再現と対比されるかたちで、染みや断絶によってイメージの物質の内在的力forceを示し、我々の知覚、意識、記憶を問題とする
  • 細部 …イメージの断片ではなく点(プンクトゥム)として強度的かつ策略的で、謎めいた細部が拡張のプロセスを引き起こす

    ・拡張 …唖然とした状態から、強度的かつ潜在的に、力動性を増殖させる
   (『欲望』の現像シーン=眼と形象的思考の軌道、視覚的振付けによる現実の再構築と虚構の構築という弁証法的効果)
    ・抽象 …ミメーシス的再現の安定性を多孔的にして、物質・形式・色彩のなかに嵌まり込み、具象的非決定性に至る
   (『欲望』の最後に引き伸ばされた抽象画的な写真、ファウンド・フッテージ、フレッシャー、AlRazutis)

  • 力puissance…物語化の秩序における再現=表象として、表面上で我々の構造化=分節化する知的記憶と戯れるイメージの権力に対し、形象化の秩序における現前として、強度的に知の意志の外側にある断片的・感性的・情動的記憶と戯れるもの。

形象的分析=イメージの細部に焦点化し、再現の網の目に裂け目を入れるイメージの出来事を前にした閃光を確認するだけでなく、現象学的次元を乗り越えるため、時間的観点=解釈・構造・モンタージュの時間を導入する。記号論的分析、分節化・構造化・言説化を超えて、モンタージュの振舞いにおいて出来事性を維持しつつそれ自体現象的である構築を見いだし、細部=出来事に結合=出来事を引き継がせる、そうして、構造そのものが出来事であるということを示す。それはいわば、出来事の症候学的構築をなすこと。
現象学的次元を乗り越えるにあたって、イメージの「力」についての説明がやや不明瞭であり、力と細部を選別するにあたっての基準が不明瞭でもある。このままでは記号論的分析から現象学的分析への先祖帰りに陥るリスクも感じられるが、いずれにせよ脚注にあがっているディディ=ユベルマンとダニエル・アラスを読まなくてはならない。また、議論の最後は、すこし整合性にかけているような気がする。ユベルマンの注釈としても判りやすいが、彼との差異があやふやなまま終わっている。