Bourdelle美術館で開かれている、イサドラ・ダンカン展へいく。予想以上に楽しめた。
20世紀初等にアメリカから来た彼女がBourdelleとも親交があったことから、彼女にまつわる画家や彫刻家の作品、写真、映画などをバランスよく配置した展覧会。周知のとおり「裸足のイサドラ」=古典バレエからの脱却として(おそらく)しばしば言及される彼女は、古典ギリシアを参照しつつ自然を賞賛するダンスを、写真や初期映画のカメラの前でも頻繁に披露していた。モダンダンスとしてのみならず、文化史的にも、フェミニズムの台頭、同時代の古典ギリシア崇拝、または雑誌写真や初期映画などのメディア戦略など、彼女が背負っていたものは大きい。ピカビアやロダンなどベル・エポックの芸術家たちだけでなく、ロイ・フラーとの交流もあったという彼女は、ダンス・スクールを開いたこともあり、全体を通して当時の受容層の幅広さが伺われた。
数多く残されている(多くはミュンヘンで撮影されている)カルト・ド・ヴィジットや絵葉書のなかで彼女は、何かに追われるかのようなポーズで、その強い目線が画面外を見つめている―それは、何かに耽るかのように遠くを眺める19世紀カルト・ド・ヴィジットの典型的なポーズのそれともやや異なる。また、彼女が実際にギリシアに行った際の写真は、スタイケンによる撮影で、大きな皺のできる衣装をつけた彼女が、ギリシア建築とサイズにおいて対比されていたり、そこに寄り添い、もたれてポーズをとっていたり―皺の多い衣装が建物と同化する―、さらに現地人との集合写真などをみても、どこか厚かましいほどのなりきり写真である。屋外でギリシア風のゆったりとした衣装を身に付け、「自然」と戯れながら踊る女性を正面から捉えた映画では、手先やつま先などのクローズ・アップが挿入されていて、記録映画とも異なるダンス映画として撮影されていたことがわかる―屋外である理由は、技術的条件も関与しているように思う。つまり、同時代の身体鍛錬と並んで、彼女の身体とダンスとが優れてイメージに意識的な実践であったことがわかる。
最後に、多くの画家たちが残している彼女のデッサン画は、そろって彼女のダンスのポーズ一覧となっていて、さながら(比較展示されていた)マイブリッジ状態なのであるが、なかでも20枚以上に及ぶBourdelleのそれは、パラパラ動画にして展示されていたように、ヒステリー患者を描いたリシェによるデッサンと表裏一体(どころか瓜二つ)なのである。これらの身体表象が、デッサンだけでなく、彫刻やわざわざ浮き彫りにしてまで残されている点まで、リシェや身体鍛錬と共通している。
国境、ジェンダー、メディア間を裸足で跨いで踊っていた彼女であるが、広大な「自然」を背景にクローズアップされたつま先が「不自然」にふるふると震えていたのが印象に残る。デルサルトに影響を受けていたとのこと、調べるべき案件を思い出した。