Westminster大学で、視覚文化研究のカンファレンス。

初日
最初は、W.J.T.ミッチェルの発表で「Race, media and visual culture」というタイトル。
「人種とはメディウムである」というテーゼを中心に、そこから権力、文化、ジェンダー、種について展開する問題設定を理論的に総括しようとするもの。うまく聞き取れないものの、表象可能なものから、象徴的・想像的なものについて、フーコーサルトルを引用した図式をみて理解する。しかし、質問にも出ていたように、カルスタの後を受けて何故今人種が主題となるのか、人種の表象については議論されてきたものの人種そのものを考察し直したい、というような返答をしていたような気がするが・・・
初日の他のセクションは、視覚文化の教育についてなどの実践的なパネルで、僕もあまり聞ける状態でなかった。

二日目
午前は、可視性/不可視性、抽象化というキーワードから20世紀初頭からの都市表象を歴史的に検証するDavid Cunninghamの「Visual Culturesm Abstraction and the Metroporis」という発表。不可視なものにとらわれた視覚文化という導入から、都市表象と抽象というテーマ。マルクスの商品のフェティッシュ化、ジンメル貨幣論、他にもタフーリやクラカウアーの言説を参照しつつ、具体的な事例としては、建築のみならず、シュビッタース、モンドリアンからポロックの絵画まで挙げられていた。まとまった発表で聞き取りやすかったものの、抽象というタームが何をさすのか、20世紀初頭と現在との非/連続が最後まで分かりにくかった気もする。また、都市の視覚化といったメディア研究との関係、コラージュとモンタージュの違いは、といった質問も。
午後は、脱領域性というタイトルで、リサ・カートライトの発表。医学技術と視覚文化の関係を論じた著書を読んだこともあったので楽しみにしていたものの、今日は研究発表というよりも、自身の大学での実践報告という感じなのか、よくわからず。

僕のリスニングが大いに問題ありだが、全体的にどの論者も発表の枠が大きすぎて消化不良な印象が残る。同時に、皆口を揃えてVCSの学際性を称揚しているようなのが目に付く。そのリスクや批判的意見は聞けなかったように思うが、VCSのカンファレンスとして仕方ないのか。