Thomas Demand展へ、生デマンドから真摯な制作方法を聴くことができた。

 被写体を構成する紙の質感、煌めくディアセック加工、観者を映し込む巨大なフォーマット。これらの特徴によって、有機物を再構成した被写体は、CG映像のデジタル画面を想起させる無機物へと転換し、逆に無機物を再構成した被写体が今にも動きそうなミニチュアとして有機的な印象を観者に与える。とくに福島の事故後、《制御室》を例のごとく紙によって再構成した写真は、崩れ落ちた天井とともに記憶に新しい緊迫さとは裏腹に、玩具のようなコミカルさと静けさを感じさせる。このように矛盾めいた写真作品が、ストップ・モーションによるアニメーション作品へと移行しつつあることはどこか必然にも思えてくる。

    

 作家の言によれば、《大統領執務室》の様子は、過去20年間6000枚近い写真や映画や挿絵を資料に、実物を見ぬまま再構築された写真であるという。過剰なまでに緻密な製作作業は、ストップ・モーション撮影の映像作品にも引き継がれている。Youtubeで話題になった映像――嵐に襲われたクルーズ船船内が左右に振られて散逸する様子――を無人で再構成した作品《Pacific Sun》では、100秒のために2400ものフレームが数ヶ月に渡って撮影された。それを可能にしたのは、デジタル映像のリハーサルに用いられるシミュレーション技術、すべてを鮮明に映し出す高精度カメラ、さらに興味深いことに、おそらくはそれら最新技術によってハリウッドでの居場所を失いつつあるディズニーのアニメーション技師たちとの緻密極まる作業であったという。
 モニュメンタルな被写体が多かった写真作品に対し、ほぼ2000年を境として、上記のような監視カメラや「事件の当事者による」youtube映像が観客とともに作品に取り込まれるようになる。1999年ロンドンの集団暴行事件で証拠となった監視映像《エスカレーター》と《雨》の作品の部屋では、目線の高さで交差するプロジェクターが通り行く観客の影を必ず映し込むように配置されている。その結果、遠慮がちに身を屈める観者たちが、延々と反復する映像のなかに影として登場する。まるで電気屋のカメラ売り場のようでもあり、インタラクティヴな関係がさらに監視カメラの不気味さを増長させる。
 有機/無機、映像/写真を交差させる作品群は、写真でありながらオリジナル/コピーという複製の関係の彼岸に位置し、監視カメラでありながら「完璧なシミュレーション」へと昇華するかのようである。それによって、ポストモダンやニヒリスティックな態度に決して収まることなく、3.11を極致とする現代の映像体験を取り込みながら私たちに迫ってくる。


※制作方法など、コチラに上がっている。