ドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングは1876年の論文で、私たちの日常生活の意識的な記憶と獲得形質の遺伝を通じて伝達される「系統発生的な記憶」とのあいだに、緊密な結びつきがあることを示唆していたそうである。
Über das Gedächtnis als eine allgemeine Funktion der organisierten Materie.
どちらも原典にあたってはいないが、これは以下の記事の内容とも同じ発想に思える。

朝日新聞デジタル
恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表
2013年12月4日14時51分
【吉田晋】身の危険を感じると、その「記憶」は精子を介して子孫に伝えられる――。マウスを使った実験で、個体の経験が遺伝的に後の世代に引き継がれる現象が明らかになった。米国の研究チームが科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表した。

http://www.asahi.com/articles/TKY201312040021.html

忘れないようにメモ。いずれにせよこの人は色覚研究やヘリング錯視ヘルムホルツとの対立などで知られており、そちらとの結びつきも気になる。
Steven Turner - In the Eye's Mind: Vision and the Helmholtz-Hering Controversy
Steven Turner - "Vision Studies in Germany: Helmholtz versus Hering"




 上記とも関連して「アニミズム」というテーマから展覧会を繰り返しているキュレーターAnselm Adamsのカタログが届く。

Animismus / Animism: Moderne hinter den spiegeln / Modernity Through the Looking Glass

Animismus / Animism: Moderne hinter den spiegeln / Modernity Through the Looking Glass

 筆者によれば、このプロジェクトが望むのは、「アニミズム」という観点から「異なる歴史的連続性を想像し、物語ること」であり、そのためにアニミズムが「生命賦与と<生命賦与されるもの>の異なる<様態>という多価的な分節化に変わること」(168)である。アニミズムとはそもそも、19世紀以降に「原始的な精神が世界に霊魂や精神を賦与する――文字通りに、<生命賦与するanimates>――、一連の迷信的な信念として規定された」が、それは逆に言えば、「理性と自律的な個体が不可能なものとなる条件でもあった」。その明瞭な領域画定の代わりに、説得も説明も不可能な存在と事物とのあいだのコミュニケーションの形態であるアニミズムに彼ら近代人がが見たものとは、「自然と人間、想像と現実、記号と事物、生きているものとそうでないものといったカテゴリーのあいだの原初的な<混乱>なのである」(169)。
 人間と動物、人間と機械、文化と自然、記号と事物、精神と物質、生命と非生命といった二元論を打ち立てることがモダニティの駆動力になってきたことを踏まえたうえで、著者はその境界画定が崩壊するような「消失点」にアニミズムという観点を位置づける。上記の二項対立やその背景にある前提を当然視することなく、それらを「アニミズム」というイメージの産物として考察すること。「かつてはモダニティが「プリミティヴな他者」を対象=客体化するという法外な劇場を演じるための舞台」であったアニミズムという概念に、「モダニティによる境界画定の実践をマッピングし、脱中心化するようなツールに変わる」可能性を認めること。

アニミズムはまさに唯一の消失点になり得るかもしれず、そこからはモダニティの内と外の区別に陥ることなく、また否定という方法であってもその背景にある前提を肯定することなく、さらにはその指示参照枠を失うことなく、それゆえ、モダニティとその遺産に批判的に取り組む能力を失うことなく、モダニティについて語ることが可能になるのである」(170)

 もちろん、この概念の全体(主義)的な傾向に警戒心も示す著者は、個体から関係性を考察してきた西洋の伝統に対して、逆に関係性から個体を考察することを重視する。そのとき、アニミズムは「単に不活性の物体が霊魂を「持つ」という信念ではなく・・・コミュニケーションや合理性の優位、さらに事物が私たちに課すデザインを<説明する>実践」になる。本論ではここに美術館の意義が位置づけられることになるのだが、このような理解をメディウムの問題へとずらすとどうなるだろうか。