今週末に開催される研究会のお知らせを頂いたので掲載します。
いつもとは切り口の異なるテーマですが、中国からのゲストも迎えて大変楽しみな内容です。



「妖怪VSゾンビ
−−人間ならざるモノとのコミュニケーションにおける表象」

【日時・場所】
2017年2月11日(土)14:00〜17:00
同志社女子大学今出川キャンパス
純正館S104教室

【主催】
同志社女子大学学内助成金(奨励研究)
「非人間的な現代のコミュニケーションについての調査研究」(研究代表:松谷容作)

【研究会主旨】
周知の通り、今世紀に入りデジタル方式に基づいた技術が私たちの生活を様変わりさせてきている。私たちの身体が隅々にわたってデータと化し、その根本的な存在のあり方がDNAという情報に還元されるように、また知人との会話がスマートフォンの画面のみで成立するように、人間存在とコミュニケーションのあり方は徹底した刷新のなかにある。しかし、このような刷新のなかにあったとしても、なにか実体をもった行為主との間でコミュニケーションを形成しているように私たちは信じている。では私たちは何とどのようなコミュニケーションを形成しているのか。本研究会では行為主を怪異や妖怪、ゾンビであると仮説を立て、これらと私たちが過去から現代にいたるまでどのようなコミュニケーションを形成してきたのか、そのことを2名の研究者による表象を軸とした発表とディスカッションを通じて考察していく。

【発表者・発表タイトル】
司志武(曁南大学外国語学院日本語学科准教授)「怪異と身体:「やまい」の思想史的試論」
福田安佐子(京都大学大学院人間・環境学研究科後期博士課程)「ゾンビはいかに眼差すか」


【発表要旨】

  • 司志武「怪異と身体:「やまい」の思想史的試論」

「怪異」とはなにか。妖怪とか災異とかと一概には言い切れない。しかし、「怪異」事象は人間にとって危険・恐怖・不思議などを感じさせる物事に違いない。「怪異」事象に対して人間の感性が働いて、それらを判断して評価するのである。例えば、『漢書』『後漢書』の『五行志』は怪異を分析するときによく使われる「疴(やまい)」という言葉は、人間が体の異常から得た感性で「怪異」事象を理性的認識する表現である。また、「やまい」そのものは、様々な「形」で人間の「日常」を狂わせて、「異常」に改変したりする、個体の「怪異」である。「やまい」は古来よりどのように想像されて、「怪異」の世界に取り入られてきたかについて、古代思想史的角度から論じてみたいと思う。

  • 福田安佐子「ゾンビはいかに眼差すか」

集団で、血肉を求めて人間に襲いかかる。その動きは頭部が破壊されるまで止まらない。こういったゾンビを我々はよく知っている。だが、彼らは、我々をどのように見ることができるだろうか。ゾンビの「眼」の表現には、この人間によく似た怪物がいかなるものとして想定されているのか、という製作上の意図や観客の嗜好が反映されている。彼らは時に、蘇った死者や、生死をさまよう病人として、または、欲望に突き動かされる群衆や、抗えない感染力や凶暴さの比喩として描かれてきた。ここでは、「眼」にあらわれでている、人間とゾンビの関係性に注目して、時代により変容するその姿を詳らかにしていく。


【発表者プロフィール】

  • 司志武(シ シブ):曁南大学外国語学院日本語学科準教授。専門は中日比較文学。現在は、主に中国讖緯思想が平安時代の説話文学に与える影響について研究している。主な論文に「日本中古説話集与讖緯:以『日本霊異記』為例」(『曁南史学』、2016年)と「日本近世怪異小説与『剪灯新話』:以「金鳳釵記」的日本翻案為例」(『明清小説研究』、2013年)などがある。