フォトモンタージュという技法の効果を簡単にまとめてみたい。
しばしば、フォトモンタージュという技法は、対象を脱コンテクスト化すると述べられるが、そもそも写真を断片化して切り貼りすることは、どのような効果をもたらすのか。


まず、時間的な効果について考えてみれば、それは、一枚で成立していた写真の「記録」という効果を歪めてしまう。というのも、フレーム内に収められた写真が「かつて、そこにあった」ことを示すとするならば、断片化され併置された、つまり記号化した写真が新たに用意された同一平面状に散在している状況は、そこにあるべき時間性を宙吊りにさせるからである。確かに写真に撮られているという時点で、その被写体は過去のものであるのだが、それらが断片化され併置されたときに、それがいつであるかという疑問は無化されてしまう。そして、その断片それぞれが記号と捉えられることは、それが意味をもたらすものとして特化されることを意味している。
また、空間に関しても、ほぼ同じことがいえるだろう。ダダにおける写真に写った対象をその縁に沿って切り出すという行為は、それがどの場所に属していたか、という写真が示す場所性を、ほぼ完全に無化してしまうからである。J・Hの作品上では、そこに空間性が作り出されてはいるものの、それはもちろん新たに作り出された空間であり、本来写真に写っていたはずの空間とは異なる、言わば「イリュージョン的」な空間である。
こうした前提を土台にイメージの切り貼りが行われ、異質なイメージが組み合わさったときに、言わば弁証法的な意味作用が生み出されると考えられる。


さてこのように見たときに、ベルリン・ダダで行われていたフォトモンタージュの作品を体系化することができるのではないだろうか。
まずはその出発点として、H・ヘーヒの作品を置きたい。この画面上では…


A.J・H(空間的かつイリュージョン的構図、記号によって創出される意味が明確、しかし多義的、テクストへの依存)

X.ヘーヒ(混沌とした平面かつ空間的構図、記号によって創出される意味が不明確、テクストの不在)
  ハウスマン

B. ピカビア(平面的構図、記号によって創出される意味が不可解→自己指示的?、手書きのテクスト)

基準としては、1、画面構成 2、意味内容 3、イメージ/テクストの関係
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