青弓社の視覚文化叢書シリーズから、以下の拙著が出版されます。

視覚文化叢書 5
科学者の網膜 身体をめぐる映像技術論:1880−1910
増田 展大 著

19世紀末から20世紀初頭のフランスで、名もなき人々の身体を測定するために写真を中心とする映像技術を駆使した5人の科学者たち。現代から見れば奇妙で荒唐無稽でさえある写真の使い方は、当人たちにとっては人間の感性を可視化する科学的な実践だった。

「写真から映画へ」という映像史からはこぼれ落ちてしまう科学者5人の熱狂的な実践――ポーズや歩き方を捉える連続写真やグラフ法、そしてかたどり――に光を当てる。そして身体をつぶさに観察するため、写真を人間の目=網膜と重ね合わせた「科学者の身ぶり」を掘り起こす。

19世紀末の忘却された映像実践から、多様な映像環境に組み込まれた私たちの感性の変容をも照らし出す視覚文化論の成果。貴重な図版を100点近く所収。

出版社のページ


本書では19世紀末を映像技術の転換期と捉え、写真を中心としつつも、とりわけ後の映画には結びつか「なかった」技術に熱狂した科学者たちの身ぶりを分析しています。この時期の科学的実践は、連続写真やグラフ、型どりやデッサンといった新旧の映像技術をさまざまなかたちで応用し、人々の身体を可視化しようとしていました。科学者であれ被験者であれ、人々の身体がそれらのメカニズムのうちに取り込まれていくプロセスに、現在までの映像メディアが多様に展開していく可能性を見出すことが本書の狙いです。

医学や生理学、解剖学や心理学などの領域を事例としつつ、各章ごとに登場する科学者たちの名前は決して有名ではありません。それでも彼らに共通するのは、大衆文化を少なからず意識しつつ、それでいて技術的な開発や応用をこれ見よがしに提示する身ぶりであり、それらはすべてを扱うことができなかったほどに興味深いものです。なかでも「科学者の網膜」とは、当時の科学者たちのあいだに流布していた、写真のことを指す比喩表現です。それが意味する内実については本書で論じていますが、この表現に顕著な技術への「過信」にこそ、現在までの映像メディアを再考するカギがあるのではないか、なんてことを書いています。

目次は以下の通りです。

序 章 身体と映像技術
第1章 エドモン・デボネの身体鍛錬術――表層的なものとしてのポーズ
第2章 ジョルジュ・ドゥメニーの歩き方――身ぶりを失うということ
第3章 アルベール・ロンドの連続写真機――フォト/クロノグラフィの間隙
第4章 アルフレッド・ビネのグラフ法――心理を可視化すること
第5章 ポール・リシェの型どり――世紀転換期のヴァーチャリティ
結 語 身ぶりの機械

 
手にとって頂ければ幸いです。

科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 (視覚文化叢書)

科学者の網膜: 身体をめぐる映像技術論:1880-1910 (視覚文化叢書)