そうした一戦略―それ自体に抗うクリシェ―は、モダン・アートにおける特定の問題を指摘している。周知のとおり、モダン・アートはのスタイルは、商業的に搾取されている。そうした搾取は今や、多くの現代アートにとっての口実になっている。現代アートは、古き低級文化の形態(例えば、40年代のパルプ・フィクションや50年代の映画)からの劣ったイメージを再要求するだけでなく、現代のマスカルチャーの形態からポピュラーなイメージを盗み取る。そうした芸術は、まさに、今までにそこから奪われてきたような文化から、再現=表象を奪うのである。しかしそうしたイメージを用いることには問題も残る。なぜなら搾取的なものと批判的なもののあいだの線引きが、非常に微妙なものであるからだ。これは、歴史的な芸術のイメージの使用にとって真っ当なことであり、それらの多くは、ほとんどマスカルチャー的なまでに、しばしば複製されいるものである。


使い古された歴史的芸術の問題は、ポストモダン建築において非常に切迫したものである。なぜなら、そうしたイメージの使用は、そこにあって「平等主義」なものとして正当化されるからである。そのレトリックは、ポストモダンアートにおいて潜在的なものでしかない。こうした建築は、歴史的参照を批判的に、もしくは「自然に」、用いているのだろうか?つまり、こうした参照を通して、その形態を更新しようとしているのか、それとも、その手段をもってその形態を歴史的に打ちたてようとしているのか?(パロディ的な参照でさえも、暴露のためにひとつの伝統を提示する)。そうした建築の提議者は、(そうした芸術の提議者のように)ふたつの仕方で主張する傾向にある。彼らが言うには、歴史的な参照は所与のものであり、それらは、単に装飾的で、まったくイデオロギー的ではない程に空虚なものである。もしくは、彼らはこう言う。そうした参照の混同がまさに、こうした使用を時代的にも、戦略的にも促しているのだ、と。しかし双方の議論は、あまりにも安易である。歴史的なイメージとは、マスカルチャーのそれのように、関連性を持たないことはほとんどないのである。まさにそれゆえ、それらは、積層して用いられのである。これは明らかなことだ。明らかでないのは、こうしたイメージが等しく、所与のものであるか、公的なものであるかということである。それらは、主張されるような「支配的シニフィアン」ではない。ポストモダン建築が、皆が措定してきた多くのスタイルやシンボルを引いていることは論じられている。まさに、階級や教育、趣味によって、<固定された>ものであるのだ。諸々の参照の混同は、表面的なものである。しばしば、その参照は、単なる反応のヒエラルキーエンコードする。そうした建築は、それが並置されるように階層化して、迎合するほどに謙遜する。それが社会的な際を覆いたがろうとも、ただそれを公言するだけであるのだ―それを強調するかのような特権とともに。


今日、芸術や建築における参照の新たな自由がしばしば言われている。しかしこの自由とは制限されたものである。それは真に選ばれるものではないし(上述したように、大抵、ひとつの伝統が引用されるだけだ)、平等主義などではなおさらない。そして確かなのは、それが批判的ではないということである。しばしば古き近代のイディオムが単に蘇らされる―もしくは、陳腐な近代のレトリカルな態度が(例えば、ニュー・イメージ・ペインティングにおける抽象/再現の曖昧さ)。こうした芸術や建築はほとんど、それが引用したスタイルの文脈的な矛盾を暴くことはない。その代わり、こうした矛盾をいい加減に誤解したり、スタイリッシュなものとして鎮めたり、歴史的ボードビルとしてそれらに脚光をあてさえもする。「新たな高次の弁証法」といったものではなく、そうした混同は、古く静的な皮肉である。詳しくない大衆に対して、まさに、そうした芸術が楽しませる大衆に対して、悪しき真実である。趣味、エリート意識の年配者や誤ったヴァナキュラーにおいて、また、形態、近代の記憶喪失、誤った意識において、その選択は憂鬱なものであるのだ。


多元主義が解決するように思われる憂鬱さが他にもある。ふたつの最も問題含みなものとは、国際的、国家的な芸術と、高級、低級芸術のものである。ここで多元主義は、あからさまに政治的な問題となる。なぜなら、芸術における多元主義という考えは、しばしば、社会における多元主義の考えと合成されるからである。幾分、多元主義の擁護者になることは、民主主義的になることである―なんらかのひとつの派閥(国家、階級、スタイル)の支配性に抗うことである。しかしこれは、反対である。多元主義の批評家になることは、権威主義的になることであるのだ。


第二次世界大戦以降の芸術において、「なんらかのひとつの派閥の支配性」は、アメリカ美術、とくにニューヨーク・アートのことを意味している。我々は今まで、ここで愛国主義者に敏感であった。しかし、どれだけ文化表象によって支持されようとも、この支配性は、多国家的な生産と情報のモードに基づいている(しばしば、「後期資本主義」や「ポスト・インダストリアル」と呼ばれる)。このヘゲモニーがまさに、抵抗されるべきものであるのだ。そして、支配的な操作がほとんど低級文化の問題であるにもかかわらず、それは高級文化、芸術によって犠牲にされている―それゆえ、その領域における抵抗が重要である。そうした抵抗は存在している(数多く国際的な芸術家は枚挙に暇がない)のだが、それは誤った抵抗によって弱められている―つまり、地方感情とアルカイックな形態という新たに促されている芸術によって。この芸術は(イタリアやドイツ、アメリカの芸術に限らない)、急進的芸術だけでなく、芸術を通した急進性の拒否を構築している(これは、そうした芸術が論理に欠けているといっているのではない。なぜなら、もし天才としての芸術家という古き神話や、芸術制作の古い体系が復活するのならば、それは、国家的アイデンティティの古いイメージが追従しがちであるということであるだろう)。こうした新たな国家的芸術運動が、歴史や文化を横断するほどにアルカイックな再現=表象を用いていることが論じられる。いずれにしても、そうしたものは「トランス・アヴァンギャルド」のレトリックであるのだ。しかし、この「文化」とはなにか?疲弊した諸形態へのノスタルジアか?そして歴史とはなにか?無作為の周遊であるのか?あまりに搾取された地方主義は、合成物であり、そして芸術は、とりわけ、より奇妙な、スーブニール、商品になっている。そしてそれは、(社会的、性的、芸術的な)差異に敏感に気付くことにつながるのではなく、無差別で澱んだ状態につながるのである―抵抗ではなく、縮小へ。


もし多元主義が、芸術を単に相対的なものに変えるのなら、それは、高級と低級芸術を再定義するようにも思われる。しかしそうではない。多くの多元主義的形態において、こうした線引きは曖昧なものであり、(高級芸術として、メディア文化として)批判的であるはずの芸術も、その鋭さを失う。これは、何らかの明白な議題ではなく、例えばここにおいて主張が明らかになるのである。「天と地にもはやヒエラルキーはない。ハイとロウに差異はない。イデオロギーと他のあらゆるドグマの、非合理的、限定的な拠点が失墜するのである」。こうした「非合理的な拠点」が自由になって、芸術家は、(私的な?)神の恩恵に入り込むのである。しかし、無関心でないのなら、なにが恩恵なのか。こうした憂鬱な感覚で、ある者は左よりになる。その感覚においては、我々の多元主義的な状況が、批評を地方的な同質性の擁護へと減ずるかもしれないし、ますます芸術を同質的なものに減じるかもしれない。そこでは現実的な差異が多くの少数派の方向性として叫ばれ、自由が孤立した多くの身振りへと還元されるほどである。


多元主義に抗う議論は、古くからの真実を募るものではない。むしろそれは、新たな真実を作り出す、より正確には、古い真実を急進的に再び作り出すようになるのだ。そうでなければ、これらの古い真実は単純に回帰して、品位を落としたり、偽装されることとなるだろう(現在の文化が明らかにする一般的な保守主義)。多くのモダニストの前提は、いまや陳腐なものになった。自律性に対する衝動、芸術における純粋な存在への欲望、否定的な関わり合いの考え(例えば、撤退による批評)―これらや他の見解は、考え直すか拒絶されなければならない。しかし批判的芸術に必要なのは、急進的な変化に対する欲望である―これらは、有効な前提なのだろうか?我々は、そうしたアヴァンギャルドの動機が、旧式のものであることを確信したのではないか?確かに、アヴァンギャルドのロジックは、しばしばそれ自体、閉鎖的であるように思われる。しかし多元主義はそれ自体の閉鎖性に答えるものである―無関心性―、抑圧的な芸術を歓迎して、急進的な芸術を吸収してしまうものであるのだ。それゆえ、これは今日の芸術と批評が直面する危機的な問題である。いかにして、新たな閉鎖性や教義なしに、芸術を急進的なものに保つ(戻す)のか。今や明らかであるが、そうした閉鎖性は、近代の「還元主義」にもまして、ポストモダンの「歴史への回帰」に起因するものであるのだ。