[book] burden of representation John TaggThe Burden of Representation: Essays on Photographies and Histories

部分試訳(続き)


ベンヤミンが画像の「礼拝的」価値と呼んだものは、写真が人の興味を惹かないほどに共通のものとなったときには、事実上、根絶された。それはすなわち、写真が、何の剰余的価値residual valueに関心をもたない道具となり、消費され、投げ捨てられるようになったときである。これは、19世紀広範のピクトリアリストたちの反応を想起させる。彼らは、ドローイングやエッチングの効果を模倣した特別な印刷技術に頼ることによって、イメージの「アウラ」を回復させ、彼らの作品を商業的なそれやアマチュアのそれから美学的に分別しようとしたのであった。しかし、彼らの努力にはあまり効果がなかった。媒体の何らかの本質的な真実を無視したプリマヴェーラのような自意識的な芸術的イメージではなく、むしろ、彼らの写真にとっての自律した芸術の状況を主張するなかで、ピクトリアリストたちは、沈み行く船に参加して漕ぐことに疲れた乗組員だったのである。ベンヤミンが論じていたように、「複製技術時代が、礼拝における芸術をその基盤から分離させるときに、その自律性の装いは永久に消え去るのだ」。


肖像写真がその最後の場を拵えるのは、自律した芸術の高貴な高みにおいてではなく、むしろ、ブルジョワ家庭の心地よい空間を提供する世俗的産業においてなのである。そして、そこだけではない。そうした写真は、ファイルのなかに―交番や病院、教室、そして監獄の―そして、あらゆる公文書のなかにも、自らの場所を見つけた。ピクトリアリストたちが、彼らの輪郭をぼやけさせ、その色合いを濁していたあいだに、さらに絵画的に画像的革命が起こっていた。すなわち、再現=表象の政治的な軸が完全に転覆していたのである。それはもはや、描かれることの特権ではなく、監視された者たちという新たな階級の足枷であった。本章の最後の図版(15)が我々を導く先は、異なる肖像画の歴史である―それは、商品生産以上に、その本質的な前提条件と結びついている。すなわち、社会的身体に関する新たな類の権力の行使であり、それは、新たな類の知を生み出し、操作の手段を更新するのである。