livre

最近買った本。
Jean Clair 『1895年、不可能な解剖学』
イタリアでの展覧会の際の巻頭文なのか、短いエッセー。映画技術、X線技術が発表された1895年から世紀転換期にかけての新たな技術と身体とのかかわりを論じた見取り図。最後は、同時代の芸術家とフロイトへと収斂する。

新たな写真技術の散逸化し断片化し薄層化した複製、映画的ファンタスマゴリアの隠匿され不安定で変動する身体、[身体に]侵襲することのない新たな技術の透かし見える内臓、多元幾何学のヴァーチャルな容積、遠隔伝達装置の非身体化された声、幻肢、ないしは、ヒステリーの奇形、これらは諸々の感覚と麻痺とを呼び起こし、そこでは身体が何も示すこともなく、最後には、夢についての、無数の見事な、面食らうような解剖学。可能であり不可視で、捉えにくく、思いがけず唖然とするような、無限に造形的な身体の終わりなき増殖に抗って、全体主義は、優生学的で痙攣的な美についての整形外科を課そうと試みるだろう・・・しかしながら、近代芸術は、熱と混乱のあいだを模索しながらその道を進めた。広がる砂漠に対して、このような強度で人間の現前を再び創設しようとした世紀は他にないだろう。

Philippe Lacoue-Labarthe, Jean-Christophe Bailly, Alfonso Cariolato, Federico Ferrari, Tomas Maia, Federico Nicolao 『芸術における形象』

2004年のピカソ美術館でのコロックから編集された論文集、「形象化するfigurerという行為そのものの核心に、どのような概念的結び目が残っているのか?」との問題が提起されている。ラバルトの論文「(人間の)形象」は、Figureをキーワードとしたヘーゲル論。

他、ディディ=ユベルマンによるシャルコー、リシェの『芸術における悪魔的なもの』をコピー。長大な論文は、一番のリシェ論にもなっている。
http://www.amazon.fr/D%C3%A9moniaques-dans-lArt-suivi-gu%C3%A9rit/dp/2865890120/ref=sr_1_12?ie=UTF8&s=books&qid=1274062151&sr=8-12

あと、メモ。
http://www.amazon.fr/Figures-fertiles-figures-g%C3%A9ographiques-occidental/dp/2877112497/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1274062500&sr=1-3