告知その1

以下に登壇させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

KG+ | Stephon Russel, COMMON GROUND

写真家ステファン・ラッセルさんの展覧会「COMMON GROUND」のオープニングで「BOXHEAD」シリーズを巡って佐藤守弘さんとトーク・イヴェントを行います。

  • 5月10日(土)18:00-19:30

その後レセプションが続きます。
3F Project Room | Gallery and event space

来週、神戸大学芸術学研究会が開かれます。是非ご参加ください。

詳細はコチラからどうぞ。

第八回神戸大学芸術学研究会「折り重なるメディア」

  • 日時・場所

時間:2014年1月11日(土)14時~ (聴講無料・来聴自由)
場所:神戸大学 文学部A棟1階 学生ホール【会場案内】
主催:神戸大学芸術学研究会、映像と諸文化研究会、神戸大学大学院人文学研究科古典力・対話力プログラム
共催:ジェンダー論研究会、感性を巡る思想研究会
ポスター【PDF ver.

  • 主旨

メディアという言葉は身近なものとして浸透してはいるが、そこには幾層ものレヴェルが折り込まれ、捉えがたく漂っている。ある時は映画や写真として、ある時は文学や言葉として、ある時は身体や声として、メディアは姿をあらわす。本研究会は「折り重なるメディア」と題し、第一部は「映画と声」、第二部は「日本近代文学と視覚装置」というテーマのもと、様々なレヴェルの「メディア」が交叉し、重なりあう地点について、4つの研究報告を通じて議論する。

  • プログラム

第一部「映画と声」
14:00- 開会
14:10- 報告1 仲本雄太氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
14:40- 報告2 大崎智史氏(神戸大学人文学研究科博士課程前期課程)
15:10- 質疑応答
15:30- 休憩(10分)

第二部「日本近代文学と視覚装置」
15:40- 報告3 番場俊氏(新潟大学人文学部准教授)
16:20- 報告4 北野圭介氏(立命館大学映像学部教授)
17:00- 全体討論
18:00- 終了予定

  • 問い合わせ先;芸術学研究室 大崎智史

dogdayafternoon22(at)gmail.com(@に変えてください)

ドイツの生理学者エヴァルト・ヘリングは1876年の論文で、私たちの日常生活の意識的な記憶と獲得形質の遺伝を通じて伝達される「系統発生的な記憶」とのあいだに、緊密な結びつきがあることを示唆していたそうである。
Über das Gedächtnis als eine allgemeine Funktion der organisierten Materie.
どちらも原典にあたってはいないが、これは以下の記事の内容とも同じ発想に思える。

朝日新聞デジタル
恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表
2013年12月4日14時51分
【吉田晋】身の危険を感じると、その「記憶」は精子を介して子孫に伝えられる――。マウスを使った実験で、個体の経験が遺伝的に後の世代に引き継がれる現象が明らかになった。米国の研究チームが科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表した。

http://www.asahi.com/articles/TKY201312040021.html

忘れないようにメモ。いずれにせよこの人は色覚研究やヘリング錯視ヘルムホルツとの対立などで知られており、そちらとの結びつきも気になる。
Steven Turner - In the Eye's Mind: Vision and the Helmholtz-Hering Controversy
Steven Turner - "Vision Studies in Germany: Helmholtz versus Hering"




 上記とも関連して「アニミズム」というテーマから展覧会を繰り返しているキュレーターAnselm Adamsのカタログが届く。

Animismus / Animism: Moderne hinter den spiegeln / Modernity Through the Looking Glass

Animismus / Animism: Moderne hinter den spiegeln / Modernity Through the Looking Glass

 筆者によれば、このプロジェクトが望むのは、「アニミズム」という観点から「異なる歴史的連続性を想像し、物語ること」であり、そのためにアニミズムが「生命賦与と<生命賦与されるもの>の異なる<様態>という多価的な分節化に変わること」(168)である。アニミズムとはそもそも、19世紀以降に「原始的な精神が世界に霊魂や精神を賦与する――文字通りに、<生命賦与するanimates>――、一連の迷信的な信念として規定された」が、それは逆に言えば、「理性と自律的な個体が不可能なものとなる条件でもあった」。その明瞭な領域画定の代わりに、説得も説明も不可能な存在と事物とのあいだのコミュニケーションの形態であるアニミズムに彼ら近代人がが見たものとは、「自然と人間、想像と現実、記号と事物、生きているものとそうでないものといったカテゴリーのあいだの原初的な<混乱>なのである」(169)。
 人間と動物、人間と機械、文化と自然、記号と事物、精神と物質、生命と非生命といった二元論を打ち立てることがモダニティの駆動力になってきたことを踏まえたうえで、著者はその境界画定が崩壊するような「消失点」にアニミズムという観点を位置づける。上記の二項対立やその背景にある前提を当然視することなく、それらを「アニミズム」というイメージの産物として考察すること。「かつてはモダニティが「プリミティヴな他者」を対象=客体化するという法外な劇場を演じるための舞台」であったアニミズムという概念に、「モダニティによる境界画定の実践をマッピングし、脱中心化するようなツールに変わる」可能性を認めること。

アニミズムはまさに唯一の消失点になり得るかもしれず、そこからはモダニティの内と外の区別に陥ることなく、また否定という方法であってもその背景にある前提を肯定することなく、さらにはその指示参照枠を失うことなく、それゆえ、モダニティとその遺産に批判的に取り組む能力を失うことなく、モダニティについて語ることが可能になるのである」(170)

 もちろん、この概念の全体(主義)的な傾向に警戒心も示す著者は、個体から関係性を考察してきた西洋の伝統に対して、逆に関係性から個体を考察することを重視する。そのとき、アニミズムは「単に不活性の物体が霊魂を「持つ」という信念ではなく・・・コミュニケーションや合理性の優位、さらに事物が私たちに課すデザインを<説明する>実践」になる。本論ではここに美術館の意義が位置づけられることになるのだが、このような理解をメディウムの問題へとずらすとどうなるだろうか。

Georges Didi-Huberman, L'album de l'art à l'époque du musée imaginaire
Georges Didi-Huberman, Quelle émotion ! Quelle émotion ?

Catherine Bouchara, Charcot : Une vie avec l'image
Rae Beth Gordon, De Charcot à Charlot : Mises en scène du corps pathologique
Collectif, Vers la science de l'art : L'esthétique scientifique en France 1857-1937
Collectif, Alice Guy, Léon Gaumont et les débuts du film sonore
Collectif, Ce que je vois de mon ciné. La représentation du regard dans le cinéma des premiers temps

Gilbert Simondon, Cours sur la perception (1964-1965)
Gilbert Simondon, L'individuation à la lumière des notions de forme et d'information
Muriel Combes, Simondon, Une philosophie du transindividuel
Collectif, Technologiques : La Pharmacie de Bernard Stiegler


Collectif, Anomalie_digital art n°4 SpaceArt

Molecular Aesthetics (MIT Press)

Molecular Aesthetics (MIT Press)

Signs of Life: Bio Art and Beyond (Leonardo Books)

Signs of Life: Bio Art and Beyond (Leonardo Books)

Home Made Bio Electronic Arts

Home Made Bio Electronic Arts

Home Made Electronic Arts

Home Made Electronic Arts

The Global Contemporary and the Rise of New Art Worlds (MIT Press)

The Global Contemporary and the Rise of New Art Worlds (MIT Press)

Contemporary Art and the Museum: A Global Perspective

Contemporary Art and the Museum: A Global Perspective

  • 作者: Rasheed Araeen,Claude Ardouin,Hans Belting,Peter Weibel,Andrea Buddensieg
  • 出版社/メーカー: Hatje Cantz Pub
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: ペーパーバック
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Global Studies: Mapping Contemporary Art and Culture (GAM: Global Art and the Museum)

Global Studies: Mapping Contemporary Art and Culture (GAM: Global Art and the Museum)

  • 作者: Julia T. S. Binter,Hans Belting,Jacob Birken,Andrea Buddensieg,Peter Weibel
  • 出版社/メーカー: Hatje Cantz Pub
  • 発売日: 2012/01/31
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The Global Art World: Audiences, Markets, and Museums

The Global Art World: Audiences, Markets, and Museums

Making Art Global: Magiciens de la Terre' 1989 (Exhibition Histories)

Making Art Global: Magiciens de la Terre' 1989 (Exhibition Histories)

  • 作者: Lucy Steeds,Rasheed Araeen,Jean Fisher,Pablo Lafuente,Jean-marc Poinsot
  • 出版社/メーカー: Walther Konig, Cologne
  • 発売日: 2013/09/30
  • メディア: ペーパーバック
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Wissenschaft vom Gehen

Wissenschaft vom Gehen

Atombilder: Ikonographien des Atoms in Wissenschaft und Oeffentlichkeit des 20. Jahrhunderts

Atombilder: Ikonographien des Atoms in Wissenschaft und Oeffentlichkeit des 20. Jahrhunderts

The Whole Earth - California and the Disappearance of the Outside

The Whole Earth - California and the Disappearance of the Outside

Simulation: Presentation Technique and Cognitive Method (Context Architecture)

Simulation: Presentation Technique and Cognitive Method (Context Architecture)

Dead_Lines: Der tod in kunst - Medien - Alltag / Death in Art - Media - Everyday

Dead_Lines: Der tod in kunst - Medien - Alltag / Death in Art - Media - Everyday

  • 作者: Jan Grunwald,Verena Kuni,Thomas Macho,Oliver Zybok,Birgit Richard
  • 出版社/メーカー: Hatje Cantz Pub
  • 発売日: 2012/01/31
  • メディア: ハードカバー
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Cross Over: Fotografie der Wissenschaft + Wissenschaft der Fotografie

Cross Over: Fotografie der Wissenschaft + Wissenschaft der Fotografie

Thomas Thiel, Schaubilder
http://www.wallstein-verlag.de/buecher/wissenschaftsgeschichte-1.html

Pervasive Animation (AFI Film Readers)トム・ガニング、「変容するイメージ――変身と運動におけるアニメーションのルーツ」
in. Pervasive Animation, ed. Suanne Buchan, AFI Film Studies, 2013

「あらゆる映画はアニメーションであった」というマノヴィッチの論争的な主張と、昨今のアニメーション論においてほぼ必ず召還されるエイゼンシテインの原形質論、この両者がアニメーションを論じるうえで叩き台になるとするなら、その根底には自身の関心であり続けているイメージの「インデックス性」と「運動」論が控えていると著者は言う。なかでも本論の目的は、従来の原形質論が指摘してきた身体の図像的な再現=表象よりも、むしろそこで果たされる知覚のプロセス――「テクノロジーによって獲得されたイメージの新たな経験」――を浮かび上がらせるため、この概念の源流に17世紀以来のブロウ/フリップブックを主題とした「変身」と「運動」という問題系を見出すことにある。日常的な運動を変身させるフリッカー効果とその技術的な操作可能性において、これまでに著者が映画前史に指摘してきた「ヴァーチャル・イメージ」が「原アニメ的なイメージ」として浮かび上がることになる。

「もし写真的な映画がインデックス性の指示参照的な側面へと私たちを動かすなら、アニメーションという観点からの思考は、テクノロジーの物質性とその人間の知覚に対する作用へと向ける。それゆえ、アニメーションは世界の運動を捉えることへと向かうかもしれないが、それはまたわれわれを、変身と魔術の不可思議さへと回帰させるのである。」(p.66.)

以下雑感になるが、本論文を含め、最近のガニングの議論が一貫して運動論という関心のもとに進められる一方で、そのことはますます、マレーやマイブリッジの連続写真という「科学的な」映画前史にインデックス的な実写性や静態的な特徴を認める傾向を強めている。たしかに、連続写真の系譜が「科学的な実証性」ゆえに、ガニングの言う19世紀の「見ることと知ることの同一視」という認識モデルに連なることは当然なのかもしれない。とはいえ、シルエットに還元されたマイブリッジの初期の《馬の足並み》や――時期を限定したうえでこの連続写真を「現実効果からの解放」と説明したクレーリーの議論――、モーション・キャプチャーに他ならないマレーの幾何学的連続写真を想起するとき、ガニングの態度が写真=科学/魔術=スペクタクルといった二項対立を強化してしまうと考えるのは言い過ぎだろうか。少なくとも、彼のスペクタクル論がアニメーション/ニューメディア論の批判的検討に差し向けられる一方で、ますますクレーリー(やキットラー)の科学史的なメディア論とは離れるかのようでもある。全然構わないとしても、このような身振りは時宜に適したものでしかないのか、現在の映画研究において何か徴候的な意味をもっているとも考えられるだろうか。

この点において、ガニング自身も現物は未確認であるものの、マイブリッジの連続写真に10年以上も先立ち、フリップブックに19世紀演出写真が利用されていたという指摘は示唆的な事例となりそうだ。科学とスペクタクル、写真と(原=)アニメーションとの関係において、20世紀初頭の生物学の映像に原形質性そのものを見出そうとした自分の発表が今後どのような方向に向けられるべきなのかも、もう少し考えなくては――そもそも、写真=科学/映画=スペクタクルという映像史のねじれを問題視したのがカートライトだった。また、先の学会で指摘して頂いたように原形質性の議論が情動イメージの問題にもつながるなら、当然ながら変身という問題系においてアニメーション=手描きという特徴のみが強調されるべきではないだろう――ガニングはドゥルーズと微妙な距離を保ち、手短にベルクソンを引き合いに出すのみであるが。同時にガニングとドーンのフリッカー論、ブキャットマンの原形質論やローザックのフリッカー小説も興味深い。

Bad: Infamy, Darkness, Evil, and Slime on Screen (Cultural Studies in Cinema/Video)

Bad: Infamy, Darkness, Evil, and Slime on Screen (Cultural Studies in Cinema/Video)

The Poetics of Slumberland: Animated Spirits and the Animating Spirit

The Poetics of Slumberland: Animated Spirits and the Animating Spirit

Savage Theory: Cinema As Modern Magic

Savage Theory: Cinema As Modern Magic

フリッカー、あるいは映画の魔

フリッカー、あるいは映画の魔

追記:フジフィルム・スクエアにマイブリッジの『動物の運動』が展示されていた。オリジナル・プリントは一点のみで、他のものは拡大プリントのうえ焦点がぼやけていたものの、やはりほとんどすべての写真の片隅に数字が打たれていることが確認できる。写真の差し替えを確認することはできなかったが、右から左へ向かう「イレギュラーな」時系列の編集もある。それと並ぶ常設展は小ぶりながらも、カメラ・オブスクラやカメラ・ルシーダに始まり、ダゲレオタイプとそのステレオ写真、さらには英米圏を中心とした歴代の写真機を並べている。

上記の論文とも関連する19世紀末のフリップブック・ビューアーを実演することもできた。家庭用の動画装置としてイギリスで商標登録されたキノーラは、フータモのピープ論文でも言及されていた(えらい値段の参考文献)。展示解説によれば、この家庭用ビューアーは1895年の映画の登場と前後して販売されたものであり、イギリスに先立つフランスではリュミエール兄弟によって流通していたという。実演したものは1分ほどの時間を要する数百枚の長さで、手回し機械に取り込まれた図像はもはや逆回転させることができない。ルーペで覗き込むという受容形式や支持体が写真プリントであったことを考えるなら、エディソンのキネトスコープとさして変わらないようにも思える。とはいえ、その内容はエディソンと異なり、幻想的な舞台を演出する書き割りのなかに迷い込んだ女の子の演技がグリフィス映画のような大袈裟な身振りを見せ、さらにメリエス映画のようなトリック演出によって突然画面中央に現れた男に対して驚いてみせるという一応の物語形式をとっている。およそ初期映画にみられるこれらの演出が同時代の家庭用の視覚機器においても踏襲(先取り?)されていたことは実際、youtubeで検索してみると魔術ものが多いことからも伺える。一方では、その多くが遠征先での記録映画的な特徴をもつリュミエールの映写技術は、他方では家庭用フリップブック・ビューアーによる物語演出との二枚岩的な商業戦略であったのかもしれない。また、フリップブックですら機械にはめ込まれると瞬間的な登場というトリックを手元で(再)確認することが不可能になるということは、これらトリック演出が当初の映写技術とは異なり「技術的な一回性」を条件としたものであったとも考えられるだろうか。。

A Companion to Early Cinema

A Companion to Early Cinema

ゴードロー、デュラックらによる初期映画論集が昨年出版されていた。

A Companion to Early Cinema

A Companion to Early Cinema

フータモによる「覗き穴」論、ガニングによる「19世紀のヴァーチャルイメージ」論、アルベラによる「映画エピステーメ」論、さらにはアネモネ、ブリュースター、エルセサーまで30もの論文所収で盛り沢山の内容となっている。しかし、二万円は高すぎるのでペーパーバックを期待しつつコピーする。

これらと並行する「身振り」の問題について、パントマイムやピエロを中心とする舞台演劇と映画史の絡み合いについて調査を続ける。ガニングやブリュースターらの古典をはじめとして、前者が先の集成所収の論文や以下で言及するところによるとHanlon兄弟が鍵となるそうだ。パントマイムについてもAriane Martinezをはじめ、新刊が続々と出ている模様。

Theatre to Cinema: Stage Pictorialism and the Early Feature Film

Theatre to Cinema: Stage Pictorialism and the Early Feature Film

Slapstick Comedy (AFI Film Readers)

Slapstick Comedy (AFI Film Readers)

D.W. Griffith and the Origins of American Narrative Film: The Early Years at Biograph

D.W. Griffith and the Origins of American Narrative Film: The Early Years at Biograph

The Hanlon Brothers: Their Amazing Acrobatics, Pantomimes and Stage Spectacles

The Hanlon Brothers: Their Amazing Acrobatics, Pantomimes and Stage Spectacles

The Hanlon Brothers: From Daredevil Acrobatics to Spectacle Pantomime, 1833-1931 (Theater in the Americas)

The Hanlon Brothers: From Daredevil Acrobatics to Spectacle Pantomime, 1833-1931 (Theater in the Americas)

The Golden Age of Pantomime: Slapstick, Spectacle and Subversion in Victorian England

The Golden Age of Pantomime: Slapstick, Spectacle and Subversion in Victorian England

Eloquent Gestures: The Transformation of Performance Style in the Griffith Biograph Films

Eloquent Gestures: The Transformation of Performance Style in the Griffith Biograph Films

The Theatre and Cinema of Buster Keaton

The Theatre and Cinema of Buster Keaton

Victorian Pantomime: A Collection of Critical Essays

Victorian Pantomime: A Collection of Critical Essays

Ariane Martinez - La Pantomime Theatre en mineur
Laurent Guido - L'age du rythme
1895 n.56 2008

美学芸術学論集第9号が刊行されました。
近日中にDL可能になるはずですが(なりました!)、送付希望の方はご連絡頂ければお送りします。
特集「身体と同一性」の序文を書かせてもらいました。視聴覚文化論からヴァナキュラー写真論まで、今年も興味深い論文を寄稿して頂いています。どうぞご高覧ください。

美学芸術学論集第9号 目次

  • 論文

カルト・ド・ヴィジット論
――ヴァナキュラー写真の可能性1―― 
前川修 4

  • 特集<身体と同一性>

「身体と同一性」をめぐって 
増田展大 24

イメージの権利
――19 世紀フランスにおける写真の著作権・肖像権―― 
橋本一径 27

録音された声の身体
――人間と機械のあいだから聞こえる声―― 
秋吉康晴 38

遺影と擬写真
――アイコンとインデックスの錯綜―― 
佐藤守弘 54

ブックガイド65

  • 書評

ジャン・ル・ロン・ダランベール
『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』 
金坂拓 68

ジャン=フィリップ・ラモーのアクト・ド・バレ《ピュグマリオン
――ブフォン論争および感覚論との関係をめぐって―― 
金坂拓 73