October掲載のピカビア論"The Artwork caught by the tail"を読む。
カコジル酸塩をもって、訳の分からん作品解釈を続けるなぁと思ってたら、えらく突然、理論へと入り出した。
ピカビアのTableau dada とは何なのか?
分析を終えて、筆者が取り出したのは、Jean-Joseph Gouxの論。そこでは、「普遍的等価性[general equivarent]」(=貨幣、ファルス)の下、マルクスによる価値形態の4つに分かれた発展段階がフロイトの発達段階へと照らし合わされる。すなわち、Ⅰ、初期形式=口唇期、Ⅱ、総計形式?=アナル期、Ⅲ、一般的形式=ファルス期、Ⅳ、貨幣形式=性器期。
(ここまでは、なんとなく聞いたこともあるけど)その第Ⅳ期で、備蓄の発生、消費の延期が起こるのだが、そこで備蓄が打ち消され、延期なく使用され、余剰が消費されるとなると、どうなるか。筆者はバタイユのdepenseとやらを呼びだす。そこでは、備蓄が否定され、貨幣という「法」の仲介も回避されて、使用価値の直接交換もできない。直接の使用(自慰)、直接交換(近親相姦)を否定する普遍的等価性としてのファルスが無効化される。全部できなくて、unequalになる状況。
まとめると、父、言語、価値のもと、自慰や近親相姦を示唆するピカビア(デュシャン)の作品、タブローダダが、バタイユより先に、そうした状況に遭遇していたということ。…。