ダラダラ呼んでたヒュイッセン、After the Great Devide、序章と1−1。


序章
19世紀以降のモダニティの文化は、良くも悪くも、高級/大衆文化の不安定な関係性によって、悉くその二分法によって、特徴付けられてきたといえる。芸術においては、形を変えながらも最近まで、その自律性が主張され続けていたのであり、高級が大衆に脅かされるたびに、排斥的な運動が生じてきた。つまり、近代は常に揺らいできた。しかしこれを、一方が隆盛し他方が吸収された、と単純に片付けることはできない。この考え方は、ヒュイッセンによれば、混交することを恐れる高級文化の延長でしかないのである。そこには、隠れた弁証法が内在している。


自律的な高級文化への抵抗の歴史を辿れば、20世紀初頭の諸々のアヴァンギャルド運動に行き着く。しかし、短命に終わったこれらの歴史的アヴァンギャルドは、その後の言説によって高級文化に吸収されてしまうのであり、それは、アヴァンギャルドモダニズムの境界線が曖昧になるほどであった。そこでヒュイッセンは次のように主張する。

歴史的アヴァンギャルドは、高級芸術と大衆文化との代替的な関係性を発展させようと試みていた、それゆえ、多くの部分で、高級と低級のあいだの生得的な対立を主張していたモダニズムからは区別されるべきである。


そうすることで彼は、モダニズムにおけるハイ・ロウの関係を揺り動かし、本書の後半では、それがポスト・モダニズムの問題に引き継がれることとなる。