写真史家が前提とすること→写真の迫真性
それはつまり、真に迫るということであり、映り撮られた対象そのままの真であるということではない。出来事の証明として機能するように見せかけて、その実、雑誌というコンテクストに載った写真は、そのなかで偽装的に作用していたのである。挿絵←テクスト←写真、この3つの要素の相互関係に着目するならば、挿絵がテクストを説明(図解)していたのに代わり、今度はテクストが写真を説明する。この写真を説明するテクストにおいては、その事実性を前提とした語りが行われるのである。

このような19世紀の写真の誕生の時点において、すでにその状況を、危機的だと批判するのがフルッサーの理論。

テクノコードの誕生―コミュニケーション学序説

テクノコードの誕生―コミュニケーション学序説

おもしろい。