引き続き、科学史を漁っているのだが、いまひとつ接続点が見当たらない。
どうやら科学史・科学哲学には、内向的方法という態度があって、外的なコンテクストよりも「科学」に内在的な認識論の変遷に注目するらしい。金森さんの議論「概念史から見た生命科学」はおもしろかったが、やはり写真やイメージの問題が現れることはなく、当時の科学者たちの認識論的変動と社会的な身体観・生命観とのあいだには距離が残る。
ということで、やはりヴィガレロの訳書に立ち戻る。

清潔(きれい)になる「私」―身体管理の文化誌

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