日本写真史コロックへ。
エステーブさんの発表は、ヨーロッパ以外の欧米で流行したというガラス写真について。ダゲレオタイプばりの親密性をもったメディアであった点が興味深いガラス写真であるが、それがダゲレオタイプの場合と、時差をおいて、どのような差異をもっていたのだろうか。クラークさんは、大英博物館の写真本展示について、芸術とマスメディア、旅行者と芸術家、美学と文脈、そのあいだに立つのが写真本という指摘。アルバムなどの展示はいつも興味を引かれるが、なかなか満足にみれることはない。そういえば、シュルレアリスム展での写真アルバムはチェックし直すべき。マルテルさんの写真は、ピクトリアリズムとモダニズムの接続について。ピクトリアリズムが様式上の特色であれば、モダニズムはメディアとしての写真へ向かう、と分けるとすればやや位相が異なるかと思うが、それがどう接続するのか、もう少し聞きたかった。佐藤先生や最近のポワベール先生の論文でもあったように、ソフトフォーカスの使用が視覚効果や生理学の議論とも結びついていたことを考えると、さらに話はややこしそうである。午後一は、佐藤先生の発表で、理論的側面へのフランス人の食いつきに驚く。ダルバン=タバールさんは、日本の1925年における写真100年祭について。ニエプスを起点とするエダー的技術史観の広がりに興味をもつ。その点でラジオと写真の関係は、プロパガンダ的作用を突き抜けた部分があると面白いとおもった。